【自己紹介】ねねのプロフィール

はじめまして。

ねねと申します。

 

私は、大手金融機関に勤務&2児の子育てをしながら

自分の「好きや得意」なことを「資産」に変える仕組を作っています。

 

 

先日も、子供達の体調不良でバタバタしていたのですが
ふと携帯と見ると、

1年以上前に作って完全に放置していた仕組から、9800円の収益が発生していました。

 

 

元々私は、無意識のうちに常にリスクヘッジをするような、
超安定志向で石橋を叩きまくるタイプの人間。

 

「安定した幸せな人生を送る為には、良い学校を出て、良い会社に入るのが王道」
幼少期の頃からこの価値観を信じてコツコツ真面目に生きてきましたが、

 

父の死、そして結婚&妊娠を期に、会社に雇用される働き方に疑問を感じるようになりました。

「自分にとっての幸せな人生とは?」をひたすら考え、
色々と紆余曲折した末に辿り着いたのが、“ネットビジネス”でした。

 

このブログでは、
私と同じように、今の働き方に疑問を感じる人が
豊かな人生を歩む為のきっかけになって欲しいという想いで発信しています。

 

 

このブログを読んで頂く上で、
私の過去の経歴を共有させて頂くと、ブログの内容がより理解しやすくなると思いますので

・私がどういう人間なのか?
・なぜネットで仕組作りを始めようと思ったのか?
・私にとってのお金とは?幸せとは?

について簡単にお話させて頂きたいと思います。
少し長くなりますが、くつろぎながらリラックスして最後まで読んで頂けると嬉しいです。

 

親の期待に応えようと必死だった、小学生時代

私が産まれたのは、関西の片田舎。

公務員の父、専業主婦の母の元で育ちました。
両親は非常に厳しく、私は常に2つ年上の姉と比較されてきました。

 

母親の口癖は、“もっと頑張りなさい”。

母は教育熱心な方で、子供には色んな経験を積ませてあげたいと思っくれていた為、
ピアノ、習字、英語、ダンス・・と色々な習い事をさせて貰いました。

 

今思うと、お金を掛けて色々な習い事をさせてくれたことは有難いと思うけど、
当時の私は“もっと頑張りなさい”と努力を強要される環境を息苦しく感じていました。

 

それでも
「お姉ちゃんじゃなくて、私を見て欲しい」
「頑張れば、お母さんに認めて貰える」

 

こんな健気な思考だった私は、
“自分がやりたいから頑張る”というより
親に認めて貰いたい一心で、習い事にも精一杯取組ました。

 

ピアノの練習では「1日〇時間は練習しなさい」と母からノルマを課され、
ノートに「1時間練習出来たら、1マス色を塗るように」と、
練習時間を見える化し、常に姉と競わされていました。

 

自分の好きな曲を弾けたり
新しい曲を弾けるようになることは楽しかったけれども

 

“今日、まだピアノの練習してないんじゃない?”
“お姉ちゃんは、こんな曲を弾けるようになったよ。貴方ももっと努力しなさい。”
といつも姉と比較をされ、練習を強要される環境が苦しかった。

 

でも、「家族」という小さな世界が全てだった私にとって
親に認めても貰い、親に愛されることだけが、その中で生き抜く絶対の方法だったんです。

 

何よりも辛かったのは、
友達と同じように遊ぶことが出来なかったこと。

 

友達と一緒に下校していると
“帰りに〇〇の文房具屋に寄ろう!”
“次の日曜日、皆でマクドに行かない?”

と遊びのお誘いを受けるのですが

 

我が家の両親はとても厳しく
“学校の帰り道に、お店に入っては絶対にダメ”
“子供だけで飲食店に行ってはいけない”
のが我が家のルール。

 

今となっては親の気持ちも分かるものの、
当時の私は友達達が文房具屋でお揃いの筆箱やペンを買っている中

 

私だけ一人、店の外で待っていたり

月曜日に学校で
“昨日ののマクドでさ~、〇〇ちゃんがね~・・”と
自分だけが参加出来なかった遊びの話題で皆が盛り上がっていることに

羨ましさと一人だけ取り残された寂しさを感じていました。

 

 

小学校6年生になると、中学受験の為に塾へ通うようになりました。
塾に習字にピアノと、週5で習い事をしていた為、放課後に友達と遊ぶ時間はほぼなし。

 

地元の国立大学付属中学校を志望し、受験勉強の末何とか筆記試験は合格。

ところが、筆記試験合格者を対象に行われる抽選の結果、
見事に「不合格」となるのでした。

明らかにがっかりする両親。

 

 

「私は、親の期待に応えることが出来なかった・・」
「次こそ、親の期待に応えなくちゃ」

 

こうして、親の期待に応えることに焦点を当てて生きる
自己肯定感の低い人間が出来上がったのでした。

 

暗黒の中学時代

中学受験に失敗した私は、
授業中にヤンキーが校庭を原チャで乗り回っているような
ヤンキーの多い地元の中学校へ進学します。

 

親に認めて貰うことでしか、自分に自信を持つことが出来なかった私は、
ピアノの練習も、部活動の陸上も、勉強も
今まで以上に頑張るようになりました。

 

その甲斐あって

 

勉強は、学年で200人中3番くらい。
ピアノは毎年合唱コンクールの伴奏をしたし
陸上だって、200m走で県ベスト8にも入ることが出来ました。

 

こう書くと、一見順調そうな中学生活を送っているかのように見えるかもしれませんが、
友達との人間関係だけ上手く行きませんでした。

いわゆる、イジメってやつです。

 

クラスのボス的存在の女子に目を付けられた私。

テストで良い点数を取れば
“さっすが天才~!うちらみたいなアホは相手にしたくないんやろ~?”と嫌味を言われ

クラスの男子と普通に言葉を交わそうものなら
“あんたのことなんて誰も好きにならへんで!”と言われ(そもそもそんなつもりで話してない)

 

家にいたずら電話が掛かってきたこともあれば
机に「〇ね」と書かれたこともありました。

 

今まで一緒にいた友達達も次第に距離を取るようになりました。

 

昼休みは、教室で一人でお弁当を食べるのが辛くて。

周りから「あいつ、ハブられてるな」と思われるのが嫌で

お弁当は食べずに無駄に売店を往復したり。

 

お弁当を残すことで母に変な心配を掛けたくなくて、
せっかく作ってくれたお弁当をこっそりトイレに流してしまうこともありました。

 

一度だけ、家のトイレに流したはずのお弁当が詰まってしまって、
母に見つかってしまったことがありました。

 

「これ何なん?!」と言われたけど、
状況を察したのか、それ以上何も言わないでくれた母。

 

せっかく毎朝一生けん命作ってくれてるのに・・・。
きっと悲しい気持ちになったよね。ごめんね。

 

 

毎日学校に行くのが苦痛だった私は
“イジメを楽しむような低レベルな人間がいない高校に絶対に行く!”と決意。

 

一刻も早くこの環境から抜け出したい一心で勉強に励んだ結果
県内トップの高校へと進学することが出来ました。

 

青春を謳歌した高校時代

進学先は、学年の1割が京都大学へ進学するような高校。
田舎の公立高校ではあるものの、灘高校合格者等の猛者も沢山いました。
(私の成績は中の中くらいで、可もなく不可もなく・・って感じでした。)

 

中学時代はぼっちだった私ですが、
高校に入り、無事友達が出来ます。

 

高校2年生になると、文系or理系への進学アンケートが実施されたのですが
理科が苦手だった私は、文系クラスへ進学を希望。

 

ところが母親に相談すると、
“貴方は数学が得意だから、理系に進みなさい。”
“手に職をつけた方がいいから、薬剤師や管理栄養士になったらいいじゃない。”
と言われ・・

 

ここでまた潜在意識に刷り込まれた、“親の期待に応えなきゃ”の思考が発動
結局、物理化学が大の苦手なくせに、理系クラスへ進学するに至りました。

 

高校3年生になると、受験モード一色。

“国立大学を目指して当たり前”の校風だったので、
私も自然と国立大学を志望。(金銭面で私立が難しいってのもあるけど。)

 

当時は「5教科7科目で受験をして当たり前」の雰囲気で、
受験科目数の少ない私立大学を第一志望にする人は殆どいませんでした。

 

早稲田や同支社等の私立大学の指定校推薦も一応用意はされていたけど
“指定校推薦を使う人は、受験勉強から逃げた人”みたいな扱いの雰囲気。

 

むしろ、私立大学に進学するくらいなら
浪人して京大・阪大・神大を目指すのが当たり前の空気。

 

受験勉強は辛かったけど、
一緒に頑張る仲間がいたので、乗り切ることができました。

 

 

・・・と言いたいところですが、受験の結果は、不合格

物理・科学が苦手なのに、無理矢理理系に進んだので
まぁ仕方ないです。笑

 

最終的に私は一浪の末、国立大学への受験に失敗し、
関西の私大へ進学するに至りました。

 

同級生の間だと、完全に負け組のポジション。

 

高校の友人からも“大学どこ?”と聞かれて答えると
“ど、どんまい!”と励まされる始末。

 

学歴コンプレックスの始まりです。

 

親からは

“貴方には期待していたのに、裏切られた。”
“あんなにお金も使ってきたのに、勿体なかった。がっかりだわ。”
”ねねちゃんは、努力が嫌いだもんね”

 

といった言葉を、大学を卒業してからもずっと、呪いのように浴びせられました。

 

何なら、今でも言われます。

 

自分でも
“何で私はいつも親の期待に応えられないんだろう”
“自分は何て出来損ないなんだろう”
と、自己肯定感だだ下がりのまま、大学生活を迎えることになりました。

 

学歴コンプレックスを抱えた大学生活。

学歴コンプレックスを抱えて迎えた大学生活。

 

自分の通う大学名を人に言いたくない一方、
自分の周りには“第一志望だったんだ~!”と嬉しそうに話す人も沢山いました。

 

大して頭が良い訳でもないのに、無駄にプライドだけは高いことは一応自覚。
でも、一浪したくせに志望の大学に合格出来なかった自分を、どうしても受け入れることが出来ませんでした。

 

努力家で賢い高校の友人たちのことが大好きだったし、
自分もそのメンバーの一員であることだけが、ちっぽけな自分のプライドを支えていた。

 

大学名で友人関係が壊れる訳ではないと頭では分かっている。
でも、当時の私は、友人達と堂々と肩を並べる大学へ行きたかった。

 

とはいえ、もう1年浪人する勇気も、
大学の転入試験を受ける気力もありませんでした。

 

「この大学で良かった」と思う為に、何か頑張れるものを探したい。

 

充実した大学生活を送りたいと思いつつも、私の実家から大学までは片道2時間半。
往復にすると5時間近い時間を通学に費やすことになります。

 

このままじゃいけない!と思った私は、
必要なお金が自力で稼ぐことを条件に、何度も親に下宿させて欲しいと直談判。

 

何度説得を試みても、いつも答えはNO。
「学費を含め、親の金で生活をしているうちは、親の言うことに従いなさい。
自分で自由に好きなことをして良いのは、就職して自分でお金を稼ぐようになってから。」
これが、親の言い分でした。

 

一浪&私立大学の学費、年20万円を超える定期代等、
両親に想定外の出費を出させてしまっていたこともあり、
お金のことについては文句を言えませんでした。

 

両親は門限にも厳しかったので、
出来るアルバイトも制限。
(門限は22時でした。)

 

本当は近所のスターバックスの店員に憧れていたけれども、
門限までに帰宅出来る近所のカフェでバイトをしていました。

 

これといったやりがいを見いだせず、
ただ単位を取る為だけに大学へ通っていました。

 

友達に誘われてフットサルサークルに入ったものの、
名前入りのユニフォームを買い、年に2~3回飲み会に参加するだけ。
(フットサルの練習は1度もしなかったし、グラウンドにすら行ったことはなかった。)

 

何か現状を変えたい、刺激が欲しい、と思い
大学2年生の夏、カフェと塾講師のバイトで貯めた50万円で、アメリカ留学を申し込みました。

 

 

留学期間は1カ月。
本当はもっと長期で行きたかったけど、金銭面的にこれが限界でした。

 

 

行先はロサンゼルス。
ホームステイ先のホストマザーは、1人暮らしのおばあちゃんでした。

一人で飛行機に乗ることも
長期間家族と離れて過ごすことも
色んな事が初めてで不安だったけど

わくわくとドキドキが止まりませんでした。

 

ホストマザーは元々レストランを経営していただけあり、
振舞ってくれる料理はどれも絶品。

解放感のある広い庭のテラスで食べる、シーザーサラダにミートローフ。
どれも最高に美味しかった。

週末になると、ホストマザーは車で色々なところへ連れていってくれました。

一番思い出深いのは、地平線に沈む夕日を見ながら、
アイスコーヒーを片手に歩いたベニスビーチ。

 

通りゆく人々が
フリーハグの看板を持っていたり
ピエロの恰好をしてスケボーに乗っていたり
タンクトップに短パン(←スタイルが良いから様になる)で自転車に2人乗りをしていたりと、
本当に、皆自由。笑

これまで色んなものに縛られて、窮屈に生きてきた私の目には
人目を気にせず、自分の好きなことをしているアメリカ人が凄く魅力的に映った。

LAの魅力にどはまりした私は、
留学のプログラムに組み込まれていた語学学校の授業の大半をボイコット。笑

・地元のスーパーに行って現地の人の生活スタイルを肌で感じてみたり
・バスを乗り継いで気になる町をぶらりと散歩してみたり
・現地で出来た友達のホームパーティに呼んでもらったり
・ホストマザーの甥っ子(サマソニの出演経験もある有名なラッパー!)にミュージックビデオの撮影会に立ち会わせてもらったり

自分の意志で、誰にも指図されずに
自分のやりたいことを気の向くままに出来る日々。

日本にいる時は、
何をするにも常に親の目を気にしながら生活していた私ですが
初めて自分で“やりたいこと”“わくわくすること”を誰にも制限されずに出来ることに、喜びを感じました。

こうして1カ月のLAでの生活を謳歌し、私の“遊”学は終わりを迎えました。
(机上で英語の勉強は一切していません・・・笑)

“大企業に入れば安泰”を信じて疑わなかった就活

大学を卒業し、私は金融機関に就職しました。

私が就職活動をしていた時代はリーマンショック後の就職氷河期。
“やりたいこと”を選ぶどころか、そもそもちゃんと就職出来るのか?
ピリピリとした空気が大学内でも漂っていました。

本当は、広告業界等のメディアに興味があったものの
“就職浪人したくないなら、金融機関を受けておけ”というゼミの先輩のアドバイスもあり、
金融機関をメインに就活。

裕福でも貧乏でもない、極めて一般的な家庭で育った私は
「大企業で正社員として働くことが正義。」
「大企業に入れば、将来安泰で幸せになれる。」
という価値観を信じて疑いませんでした。

大手企業内定者の先輩にアドバイスを貰ったり
人材コンサル会社が企画した自己分析セミナーに通ったり
就活塾に入ってエントリーシートの添削や面接の練習を受けたり

自分なりに努力した結果、有難いことに、複数の会社から内定を頂くことが出来ました。”

金融の仕事に興味は全く持てなかったけど、強烈な学歴コンプレックスを抱えていた反動もあり、
当時、「就職人気ランキング1位」であった大手金融機関へ就職をすることを決めました。

(あー、あの頃に戻れるのであれば自分をしばいてやりたい・・・。)

 

“コツコツ真面目に働いても幸せじゃない”直面した会社員の現実~

晴れて社会人になれた私ですが、
入社当初は、社内で飛び交う業界用語がさっぱり分からず、完全にお邪魔虫の給料泥棒。
その場にいるだけで“自分は場違いなんじゃないか・・”と毎日思っていました。

早く仕事が出来るようになりたくて、
土日は近所のスタバでフラペチーノ1杯で3~4時間勉強。

「人は、汗水垂らしながら必死でお金を稼がないといけない」という価値観が刷り込まれていいたので、
仕事はしんどい思いをして当たり前だと思っていました。

毎朝、満員電車にもまれて、会社に着く頃には気力と体力を削がれ
若手社員だからと行きたくもない飲み会の幹事を任され
就業時間後は勉強会(勿論無給。)
月の定められた残業時間をオーバーしたら、やりもしていない“休憩”をしたことにして帳尻を合わせる

こんな毎日を何年も繰り返しました。

年次を重ねるにつれ、会社をある程度俯瞰的に見れるようになると
“このままこの会社で働くことが幸せなのだろうか?”と疑問に思うことが増えました。

でも、「これが当たり前。寧ろ大企業に勤めている自分は恵まれている方だ。」と自分を納得させていました。

「今のままの働き方じゃ絶対に幸せになれない。」
そう確信したのは、27歳で結婚した時からでした。

会社の人事異動は10月と4月の年2回。
配偶者の転勤に合わせて、優先的に異動の希望を叶えてくれる制度がある為、
6月に結婚した私は、10月の異動希望を出す為、上司に相談をしました。

ところが上司から言われたのは
「人手が足りない。今抜けられると困るから、異動希望を半年遅らせて欲しい。」

結局、異動を半年遅らせ、
主人との一緒に住めるようになったのは、結婚してから10カ月後のことでした。

元々婦人科系に疾患を抱えており、妊娠力に自信のなかった私は、
出来るだけ早く妊活を始めたいと思っていました。

異動したばかりで気まずさもありましたが、私もアラサー。
不妊治療が必要になるかもしれない可能性を考えると、時間に余裕がある訳ではありません。

新しい上司にその旨を伝えたところ、
「1年は妊娠しないで。」

どうやら私は、これから妊娠&産休を希望する女性陣の後任要員として配属された様子。

先輩&同僚で妊娠を希望する女性陣からも、
“自分で希望して異動したんだから、しばらく妊娠しないよね?”と圧を掛けらる始末。

“異動したばかりだから、仕方ない。”
“これから何年かこの部署で働くなら、あまり波風を立てたくないしな・・”
そう自分に言い聞かせ、妊活をしたい気持ちをぐっとこらえました。

自分より後に結婚した人達が、どんどん先に妊娠していく度に焦る気持ち。
焦りや、羨ましいと思う気持ちを悟られないように、笑顔で“おめでとう!”と声を掛けてきました。

そして、いざ1年の我慢期間を終え、本格的に妊活をスタート。

ところが私に待ち受けていたのは、「不妊」という現実でした。

どうやら私は女性ホルモンのバランスが悪く、
薬を飲んでホルモンバランスを整えない限り、自然妊娠は難しい身体のようでした。

 

葉酸サプリを飲んだり、基礎体温を上げる為に温活をしたりと、
自分に出来ることは全力で取り組みました。

同時に、産婦人科へ通うことになりますが、
実は仕事と不妊治療の両立って、なかなかハードなんです。

月に4~5日は病院通いは当たり前。
卵子を育てる注射を打ったり、排卵日付近には先生から「明日もう一度来院して!」と急に言われたり。

残業の多い職場だったので、スケジュールを調整するのに必死でした。

業務効率化を意識するのは勿論、
早朝出社をしたり、昼休み返上して働き、何とかギリギリ定時に仕事を終え、
駅までダッシュして電車に乗ることなんてザラ。

こんな日を1年以上続けました。

 

私は月に数日とはいえ定時退社をするものだから、上司も面白くなかったのでしょう。

「定時に帰ることが出来る=余力がある」とみなされた私は、仕事をどんどん乗せらるようになります。
妊活にストレスは大敵なのに、頑張れば頑張る程仕事もストレスも増えるという矛盾。笑

“何で私ばっかり・・・。仕事を頑張るって、何なんだろう。”

どれだけ労働の時間密度を濃くしても、別に給料が大幅に上がる訳でもありません。
結局、会社員として働くとは、会社にとっては定額使い放題であることなんですよね。

本格的に妊活を始めてから1年半が経とうとしていた頃、待望の妊娠が発覚。

丁度会社の年度末人事考課で上司面談の予定があったので、
妊娠を報告することにしました。

 

人事考課では、1年間の自分のやってきたことや成果を定量面で報告し、
自分と上司との評価のすり合わせを行います。

私は、互いに評価のすり合わせをした後、上司に妊娠を告げました。
その場では一応「おめでとう」の声を頂いたものの、私は1週間後に衝撃を受けることになります。

 

“ねねさん、ちょっと話せる?”

上司に呼ばれ、個室へ案内されたのは人事考課から1週間後のことでした。

何となく、嫌な予感はしていたのですが、上司は口を開くなり、
「こないだの人事考課なんだけどさ、下方修正させて貰うわ。」
と一方的に言い放ったのです。

実質、マタハラです。
(少なくとも、私はマタハラだと受け取っています。)

人事部出身の上司も、流石に理由がないとマタハラと認識されるとは考えていたのでしょう。

あろうことか上司は、私は一緒に働くチームメンバーに
「ねねさんさ、最近なんかミスしたことない?」と周囲に聞いて回り、
私の粗探しをしていたのです。

上司があまりにもしつこく聞いてくるので、後輩の一人が不審に思いながらも、
過去に私が犯した超超軽微なミス(誰にも迷惑を掛けていない&社内処理で十分対応出来るケアレスミス)を
上司に伝えたそうです。(上司の行動を不信に思った後輩が、私に教えてくれました。)

 

上司はそのミスを盾に、人事考課の下方修正を伝えてきたのですが
下方修正の理由はミスではなく妊娠であることは明らかでした。

もうね、本当に衝撃でした。
マタハラを受けたことも、やり方が汚いことも。

“あれだけ自分を犠牲にしてきたのに、この仕打ち・・?”

 

勿論、全ての上司がマタハラをする訳ではありません。
寧ろ、珍しいタイプの上司に当たってしまったという運もあると思います。

でも、これまで
“サラリーマンだから、仕方がない”と
結婚しても、異動希望の提出は我慢したし
会社の人員調整の為に、妊活も我慢してきました。

休日も仕事で必要だからと、興味のない分野の勉強をしたりと、
コツコツ真面目に働いてきたと自分では思っています。

“お金や生活の為だからと、自分のライフイベントを犠牲にし、
自分の身と心を削りながら現在の仕事にしがみつくことは、本当に幸せなのだろうか・・。”

世間一般には安定と言われている大企業に入って、
コツコツ真面目に働いても、私は全然幸せを感じることが出来なかったんです。

かといって、これといってやりたいことがある訳でもない。
“今仕事を辞めたら、今以上の生活は出来なくなるのでは・・”という恐怖感”だけが、
私を今の仕事につなぎとめていました。

結局私は、もやもやした気持ちを抱えたまま、産休・育休に入ったのでした。

 

父の死

話は私が妊娠する2年程前に遡ります。
私が28歳の時、父が亡くなりました。

 

結婚式で一緒にバージンロードを歩いてから半年後の出来事。
死因は、転移性の肝臓がんでした。

 

釣りが大好きだった父は、定年後は釣りに専念できるようにと、
私が幼い頃、和歌山の田舎に釣り小屋を建てる為の土地を購入していました。

(因みに和歌山の土地は、平成初期のバブルの頃に「これ以上値上がりすると、買えなくなるから・・」と、
母の意見を無視した父がローンを組んで購入したものの、現在では5分の1の価値となっているそうです。(苦笑))

 

父の仕事に対する価値観は
“仕事はしんどくて当たり前”
“給料は我慢と忍耐の対価”。

父の時代では、自分の両親の葬儀でさえ、仕事を休むことが出来なかったそうです。

定年後こそは本当は自分の好きなことで人生を謳歌したかった父ですが、
家族の生活費や子供の養育費の為にと、定年後も仕事を続けていました。

 

ところがある日、身体の異変を感じ、
病院を受診したところ癌が発覚。

仕事は辞め、今度こそ自分の人生を謳歌しようと考えた父でしたが
再発と転移を繰り返し、父を待ち受けていたのは長い闘病生活でした。

最終的には、一度手術した肝臓がんが再発。
腫瘍が出来た場所は、肝臓のど真ん中。

一度目の手術で1/3の肝臓を切り取っていた為、これ以上の手術は出来ない状態。
先生からは、“早ければ、余命は残り2ヶ月程”と言われました。

“貴方は、余命2ヶ月です”

もし、貴方がこう言われたらどうしますか?
残り2ヶ月、好きなことを思う存分して過ごしますか?

過去の私なら、そう言うかもしれません。

でも実際はそんな悠長なこと言ってられないんですよね。

「得たいの知れない、死と向き合わざると得ない恐怖」

人はいつか死にます。
死ぬと分かっていても

 

結局、「定年退職後に和歌山に釣り小屋を建てて、大好きな釣り三昧の生活をする」という夢を、
叶えられないまま、父は亡くなりました。

 

大学を卒業して金融機関に就職した私は、仕事の愚痴をこぼす度に、父から
「仕事はしんどくて当たり前。給料は我慢と忍耐の対価だ!」とよく叱られていました。


・月~金まで毎朝満員の通勤電車に乗り

・仕事で理不尽な要求があっても“仕事だから仕方ない”と割り切り
・楽しみなのは給料日やボーナス、土日の休日だけ。

こんな生活が私の中の日常でした。

 

“自由を手に入れることが出来るのは、仕事を辞めてから(但し、お金を貯めた上に限る)。”
“今の仕事はいつか辞めたい。でも、かといってやりたい仕事もない。結局ずるずると辞めずに働き続けるのかな・・。”

ずっと、そう思ってました。

でも、いざ定年まで働いて仕事を辞めた時、
自分には人生を謳歌出来るだけの健康な身体はあるのでしょうか。

人間の健康寿命は約70歳と言われています。
60歳の定年まで働いたとして、自由な時間ってたったの10年。

近い将来は、定年が70歳になっていることも十分考えられます。
仮に定年まで働いて、自由な時間とお金を手にしてたとしても、
“やりたいことが出来る健康な身体”は果たして自分にあるのでしょうか。

私は、まだまだ自分の人生でやりたいことが沢山あります。
・自然豊かなニュージーランドでホエールウォッチングや火山ウォッチングがしたい
・バックパッカーで気の向くままにアメリカやヨーローッパを旅したい
・自然を感じながら家族でグランピングしたい
・広いカウンターキッチンで、丁寧に料理をして、美味しいご飯を家族に振舞いたい(但し、自分の気が向いた時に限る。笑)
(旅系の野望が多いなww)

何なら、日常生活だって
・心にゆとりを持ちながら、毎朝朝食を作ってコーヒーを味わって飲みたいし
(普段は余裕がなさすぎて、食パンと牛乳をセルフサービス・・)
・子供が体調を崩した時も、仕事のことを気にせずに子供に寄り添ってあげたい

でも、もし1カ月後の健康診断で、肺に影があると言われたら?
精密検査の結果、癌と診断されたら?
既に肝臓に転移していて、余命1年だと宣告されたら?

今の働き方を続けていて、後悔しませんか?
今の生き方の延長戦上に、幸せはありますか?

 

本当の幸せとは?

 

父の死をきっかけに、
私は“何の為に生きるのか”“自分にとって幸せとは何なのか”について自問自答するようになりました。

 

公務員の父と、専業主婦の母の間に産まれた私は、幼い頃から
「良い学校を出て、良い会社に就職して、安定した生活を手に入れることが幸せ」という価値観の元で育ちました。

大手金融機関へ就職し、身体と時間さえ会社に提供すれば、
金銭的にめちゃくちゃ困ることはないと思います。

でも結局、心が満たされる“豊かな生活”は手に入りませんでした。

 

 

インターネットビジネスとの出会い

 

ネットビジネスとの出会いのきっかけは、育休中に眺めていたTwitterがきっかけでした。

産育休中に何かスキルを身に付けたいと思いつつも、
思いつくのは、資格の取得くらい。

何か資格を身に付けたところで、会社の奴隷となる働き方は変わらないことは分かっていました。

“ブログをやれば稼げる”との噂を聞き、勢いでブログを立ち上げたものの
マネタイズのやり方も分からない。
見様見真似で記事を書いてみるものの、出口の見えないトンネルをさまよってる気持ちでした。

“現状から抜け出す為に何かしたい。でも、何をすれば良いのか分からない。”

そんな時Twitterで出会ったのが、年商1億円を1人で稼ぐ20代前半の男性でした。

彼はネットビジネスの知識を駆使して、
飲食店や美容院やを初め、色んな会社のコンサルをして売り上げを何倍にもしていました。

しかも、全部自動化している為、実質本人の労働時間はほぼ皆無とのこと。

“怪しい・・。どうせ詐欺まがいなことしてるんだろう”
そう思いながらも、どうも気になり彼のメルマガをポチっと登録。

すると、

怪しいけど、メルマガで語られてる仕組みの内容については筋が通ってて、

怪しい方法や詐欺まがいの方法で稼いでいるのではない。

 

ということは理解できました。

そこからは、ネットビジネスに関する情報を積極的に収集。

 

 

  • ネットビジネスなら低資金からできる

 

  • 隙間時間でもできるから副業からでOK

 

  • 仕組みを作らないとお金と時間は両立できない

 

  • パソコン1台とネット環境さえ
    あればどこでもできる

 

  • ビジネスは知識ゲー。
    知識さえあれば、個人でもお金を稼ぐことができる

 

 

ネットビジネスで仕組みを作ることの未来を確信できるようになりました。

 

“本当の意味での安定は、自分でお金を稼ぐ力を身に付けることだ。
そして、本当の意味での自由を手に入れ、自分の求める豊かな人生を歩む為に私がやるべきは、ネットビジネスだ!”

そう思い、年商8億を超えるマーケターの方のコンサルを依頼し、
ネットビジネスの世界に飛び込むことにしました。

まだ子供が1歳と幼い為、
ネットビジネスに取組むのは子供が寝ている間だけ。
家族との時間を犠牲にはしない。

そう自分と約束しました。

隙間時間を見つけてはワイヤレスイヤホンでビジネス動画を視聴→実践→学ぶ・・と繰り返し、
ネットビジネスを始めた8カ月後に、初めて自動で1万円の収益を出すことが出来ました。

“何のスキルや知識がなかった私でも、稼げた・・!”
“これなら、私でも出来るかもしれない・・!”

そう確信し、
現在ネットビジネスに本腰を入れて取り組んでいます。

学んで、価値提供をして、相手が喜んでくれる。
この感覚がとても楽しいし、これからもどんどん学んで価値提供をしたい・・!

ネットビジネスを始めた動機は
“現状から抜け出したい・・!”とネガティブな気持ちでしたが、
今はとってもわくわくしています!

いくので楽しみにしていて下さい!

 

改めて、ブログのコンセプトとおさらい

 

私の考える豊かな人生とは、
自分で自由に未来を選択出来る力があること”です。

 

そして、“未来を自由に選択できる力がある状態”がどんな状態かというと、
以下4つの自由を手に入れた状態です。

 

4つの自由とは
・金銭的自由(お金の心配を一切しなくていい)
・時間的自由(時間に余裕を持った毎日を送れる)
・精神的自由(嫌だと思うことは、一切しなくてもいい)
・肉体的自由(やりたいことをやれる、健康な身体がある)
です。

 

私は、この4つの自由を手に入れる為の手段として、
ネットビジネスを選びました。

 

億越えの成功者達が口をそろえて言うのは、
「ビジネスは知識ゲー」ということ。

誰でも正しい知識を学び、正しい努力をすれば、成功出来る。
ということです。

 

そして、知識はお金と違って盗まれることはないし、税金も掛かりません。

仮に一文無しになったとしても、一度知識さえ身に付けておけば
容復活することが容易に出来ます。

 

私のメルマガでは、

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